人気ブログランキング | 話題のタグを見る

伝える「あきらめない」

昨年の6月にも掲載させてもらった”脳性まひ7人制”サッカー日本代表 河野司さんについて,1/6付けの読売新聞:地域欄の今年から始まった「全力で駆ける」に取り上げられていましたので,記事を掲載させてもらいます。

*****

伝える「あきらめない」

夢は「リオ」出場

 サッカーを奪われ一時は絶望した。しかし,そこから救ってくれたのも,やはりサッカーだった。Jリーガーを目指しながら交通事故で左半身が不自由になった名張市緑が丘中の銀行員,河野司さん(32)は,脳性まひ(CP)7人制サッカーの日本代表選手。「決してあきらめるな」。自分が頑張ることで河野さんが伝えたいことだ。

 日本代表は06年から務め,一昨年の中国・広州市で開かれたアジアパラ競技大会ではコーナーキックで2アシストして銅メダル獲得に貢献。昨年6月にはロンドンパラリンピック出場権をかけ,3度目の世界選手権(オランダ大会)に臨んだ。結果は出場16ヶ国中13位でパラリンピック出場を逃したが,障害をものともしない強豪たちのプレーの連続に「世界はすごい」と,ますますやる気になった。

 「日本代表として最後の闘いになる」。当時は年齢的にそう考えていたが,思い直した。「まだやり切っていない。日本代表で挑戦し続けたい」。2016年のリオデジャネイロパラリンピックに出場するのが夢だ。

 旧県立上野工業高校卒業後,ブラジルにサッカー留学。2年後,帰国して間もない2000年9月,交通事故に遭った。高速道路を走行中,助手席から投げ出された。3ヶ月後,Jリーグの入団テストを受け,プロとして活躍するはずだった。

 意識不明の状態が1ヶ月続き,病院のベッドで目を覚ました。頭を強く打ち,左の手足が動かなくなっていた。

 退院後も左の手足が棒のように重かった。感覚はなく,痛みも感じない。左目の視野も大きく狭まった。自暴自棄になりながらも,すがるようにリハビリに取り組み,走れるまでになっていた。

 そんな時,リハビリの指導員が言った。「脳性まひの人がやるサッカーがある」。自由にならない体を恨み,サッカーを避けていた。「もう一度サッカーができるかもしれない」。事故から5年がたち,再びサッカーと向き合う決意をした。

 東京での強化合宿に参加。自分より重い障害がある人,生まれつき脳性まひの人が練習に打ち込んでいた。中途障害のサッカー経験者がいなかったから,半年も経たないうちに日本代表に選ばれた。

 しかし,昔のような動きはできない。リフティングも10回がやっとだった。残った右足でトラップして蹴る。あきらめずにやるうちに残されていた身体機能が出来なかった動きを無意識にカバーしていた。「いろんなプレーができるようになる。自分で限界をつくってはならない」

 現在は脳性まひサッカーのチーム「大阪PAZ(パス)」のキャプテンも務め,毎月1回,大阪府摂津市の小学校跡地で練習を続ける。集まっているのは,大阪,奈良,兵庫の20~30歳代。この中に小学生と高校生も加わる。

 河野さんが「ユウキ」と呼ぶ兵庫県川西市の高校1年谷口勇樹君(15)はチームに入って3年余り。「入ったばかりの頃に比べ,体が格段に動いている」と,河野さんは目を細める。谷口君は「河野さんは今は届かない存在。でも,いつかきっと超えてみせる」。河野さんと一緒にボールを追いかける。

「一度はサッカーをあきらめたが,脳性まひサッカーに出会い,日本代表になれた。障害で出来ないこともある。でも,下を向くことはなくなった」。笑顔で話す河野さんに事故を恨む気持ちはみじんも感じられない。希望をともしてくれた脳性まひサッカー日本代表の重みをかみしめながらこう話す。「若い人に脳性まひサッカーを知って欲しい。『あきらめるな』ということを伝えたいから」

*****
by kunoichilove | 2012-01-06 15:15 | サッカー/フットサル

『忍(SHINOBI)』

by kunoichilove
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31